古代ギリシアのスポーツ

古代ギリシアでは、オリンピアの競技大会は宗教と密接に結びついていました。


大会の起源を、人間でありながら身体的特性ゆえに神となったヘラクレスに帰すという考え方は、競技参加者たちが、大会での自らの偉業を通して生身の体のまま神的な力を示したことを物語っています。


《詩的であるという点を考慮に入れて言えば、勝利者を祝福するピンダロスの頒歌は、こうした視点を実によく表わしている。


理想的な陸上競技者のプロフィールは時代によって異なるが、望ましい美徳は、ギリシア都市がその安定さを確かなものとするため、市民たちに何を求めたかを明澄に反映しているのである。


まさにそれは、完壁さであり、身体的な美しさであり、競争精神であり、口にこそ出さないが確固とした気概であり、勝利への熱情だった》。


・・・オリンピア競技大会は、ピンダロスやパウサニアスと同じく、その起源をヘラクレスに帰すリュシアス〔紀元前440年頃~380年頃。アテナイを代表する雄弁家の一人〕が強調する通り・・・


ギリシアの一体観を促しました。

完全ミイラの話 4

墓をとりこわしてみると、四角い石材で四方を囲ったかなり広い安置室があって、木炭と砂利がぎっしり詰めこまれており、厚さニメートルにもなっていました。


これをすべて取り除くと2個の木棺があらわれ、外側は半ば腐りかけていましたが、その内側にもう一つ、亜鉛板で蔽われた別な棺が入っていました。


亜鉛板をはがすと、内棺は厚さ4センチの檜板で造られ、白布で包まれていましたが、檜材も布もまるで新品同様に保存され、まったく完全密閉の状態でした。


棺のふたを取ると、ここにも茶がらを入れた袋がぎっしり詰められて、遺体が納められていました。


毛利五郎氏の遺骸は、肉がおちてやや痩せ衰えたという感じでしたが、生前とさして変らぬ姿であったといいます。


・・・当時、東京大学法医学教室の古畑種基博士は、この発掘に立ち会って、珍しい完全、ミイラの調査を行っていますが・・・


これは乾燥ミイラではなく、遺体を完全に減菌消毒して密封し、いわば人間の缶詰を造ったようなものと判断されたそうです。


博士は貴重な学術標本として保存することをすすめましたが、遣族の意志で惜しいかな火葬をやり直して、完全保存造体は消えてしまいました。


・・・なお、遺体の模型が造られて、現在は東京医科歯科大学に保存されているそうです。


毛利氏がいつ頃亡くなられて、どのくらいの年数を経て発掘されたのか、よくわかっていないのですが・・・


とにかく、そうした完全遺体の保存方法があるというのは、なんとも興味を惹かれます。


そんな保存がいいか悪いかはともかくとして・・・。


完全ミイラの話 3

・・・


それよりさらに10年ほどを経て、墓地の一角が区画整理にかかったため、もう一度墓を開いてみる必要が起ったが、この時もまた、ほとんど前どおりの完全に近い状態だったという。


・・・その後、この遺体や墓がどうなったか、ハッキリしたことはわかりません。


楠瀬氏の本には、中村氏の墓の写真が掲載されていますし、現在でも麻布広尾町には、祥雲寺というお寺も実在しています。


関東大震災で、墓の位置が不明確になったとかいう話もあり、遺体が無事に残っているのかどうか、心もとない次第です。


・・・ところがなんと、完全ミイラがもう一つ見つかっているのですからおどろきです。


昭和32年、東京で完全ミイラが発見されたというニュースが報道されました。


私は、てっきり例の中村氏の遺体であるとばかり思っていたのが、まったく別物で、世田谷区若林町にある松陰神社境内の墓所であるといいます。


当時の新聞記事や文献で見ると次のようなことです。


・・・(この遺体については、三木偵、長安周一著『ミイラは語る』にくわしく述べられています)


松陰神社は、維新の志士を育てた吉田松陰を祀った神社ですが、ここには長州藩主毛利家の墓所があって、この墓地の一つから毛利五郎という方の遺体が改葬のため発掘されることになりました。


統計調査

アストラル・ツインを正面から取りあげている一人目は、天中殺で有名になった和泉宗章氏で、TBSの「そこが知りたい」というテレビ番組で放送されました(和泉宗章『占いの謎』集英社、1993年)。

被験者は女優の秋野暢子氏で、昭和32年1月18日生まれです。

番組で彼女と同じ誕生日の人を募集した結果、317人の女性が名乗りをあげて、その共通項を調べました。

こういう調査は一種の統計調査ですから、いろいろと批判は出てきます。

317人の選び方に問題はないかなど、専門家にアドバイスをもらって厳密に調査方法をチェックしてもらわないと、結果の信葱性が問われます。

電話での占いはココからどうぞ。

完全ミイラの話 2

昭和10年頃の刊行かと思いますが、楠瀬正澄という報知新聞の記者をしていた方の著書で『世界奇話異聞集』という本を読んだことがあります。


・・・この中に珍しい完全ミイラの話が紹介されていたのです。


それによると・・・


明治維新の直後、五代友厚、森有礼らと共プランスに留学した青年の中に中村博愛という人物がいた。


この人は貴族院議員を勤めたのち、明治30年代に亡くなった。


彼は、生前から自分の菩提寺に、自分で設計した通りの墓を造らせており、死の間際に遺言を残した。


「自分は、イタリアで墓の研究を、フランスでは医学を学び、生きたままの姿で造体を保存する方法を会得した。


イタリアで学んだ墓はすでに造ってある。


あとはフランスから持参した秘薬(おそらく防腐剤)を、私が死んだなら注射して、私の指示通りに葬ってほしい」


というのだ。


家族は、遺言通りにして、10年後、本当に処置が正しかったかどうか、親類縁者立会いのもとに墓を開いてみたそうだ。


なんと、信じられないことだが、中村氏の遺体は生前そのままに保存されており、頬には赤みさえ帯びていたので、一同驚嘆したと伝えられている。

・・・


完全ミイラの話

1972年4月のこと、中国で長沙市郊外の馬王堆古墳が発掘され、まるで生けるがごとき女性の遺体が発見されました。


古墳は、後漢時代といいますからAD1世紀前後、2000年前のものでした。


女性は年齢50歳前後の貴婦人で、密封された三重の棺の中におさめられ、赤い液体の中に浸っていました。


液体がなんだったかくわしい発表がなかったのですが、水銀を含んでいたとかで、女性の体は指で押すと弾力性があり、胃の内容物まではっきり検証できたといいます。


・・・つまり遺体は、完全な缶詰の状態であったらしく、アルコール漬と同じような保存状態でみごと2000年の星霜を経たわけです。


もっとも私は、このニュースを聞いた時、


「いや、待てよ、日本でもこんなに古いものじゃないけど、同じような例がいくつかあるぞ」


・・・と思ったものです。


日本のミイラといえば、すぐ頭に浮ぶのは、岩手県平泉、中尊寺に残る藤原三代のミイラが有名ですが、(これはいわば人間の干物のようなものですが)もっと完全な遺体が見つかったことがあるのです。


第ニ次大戦前のことです。

ニつの博覧会とその前後 4

やがて歴史の流れは一転して、舞台は西方に移ります。


1893年5月、シカゴでコロンブス世界大博覧会が開かれ、全国から3000万人近い人びとが見物にやってきました。


1830年ごろにはまだフロンティアにすぎなかったシカゴは、いまではメトロポリスとして、ニューヨークに次ぐ大都会となりました。


同時にシカゴこそは文明がフロンティアに建設した輝かしい成果でした。


しかし半面では、資本と労働の相剋がこの新しい巨大産業都市に暗い影を落としはじめていました。


これより先、1886年シカゴのヘイマーケット広場で、警官隊に爆弾が投げられるという事件が発生し、無政府主義者4人がその犯人として絞首刑に処せられました。


これがヘイマーケット事件です。


この事件は政府と企業を震憾させるとともに、労働者の闘争をいっそうかき立てました。


それから間もない1893年、シカゴ世界博のにぎわしさをよそに、アメリカは1870年代よりさらに深刻な恐慌に見舞われていました。


600以上の銀行が破産し、企業倒産も1万5000件に達しました。


とくに目立ったのは鉄道会社の倒産で、同じ年に営業路線3万マイルに及ぶ鉄道会社74社がつぶれました。

ニつの博覧会とその前後 3

どの機械をとっても文明がもたらした輝かしい進歩を誇示するものであり、人びとはアメリカの将来に国民的自負と期待を抱いたにちがいありません。


しかし、同時に巨大なコークス・エンジンが人びとに「機械には抵抗できない」という畏怖心と無力感を与えたことも否定できません。


『進歩と貧困』という本を書いた当時の評論家ヘンリー・ジョージはそのなかで、機械は進歩のシンボルですが、また同時に人から職を奪ったり、人間をこれに従属させるものであるというアメリカ企業文明の二面性とそのパラドックスを鋭く指摘しました。


・・・しかし、人びとは高圧的な機械に抵抗しなかったわけではありません。


当時最先端の機械であった鉄道は、労働者が敵対視する最も大きな目標となりました。


フィラデルフィア博の翌年、1877年にはボルティモア・オハイオ鉄道のマーティンスバーグ駅(ウェストバージニア州)で、経営者の要求する10%の賃下げに対し、鉄道労働者がストに突入しました。


これに同情した大衆もストに加わり、騒ぎが大きくなったので、州兵が動員され、死傷者も出る始末となりました。


この争議は枯野に火をつけるようにアメリカ各地に燃え拡がりました。

ニつの博覧会とその前後 2

南北戦争中の不換紙幣(グリーンバックス)の乱発、戦後の鉄道ブーム、信用の膨張によって過熱した経済は、突然失速して急下降し、しばらく立ち直ることができなくなりました。


戦争中政府に頼まれて、大量の連邦債を新規の商法で売りまくって成功したフィラデルフィアの金融業者ジェイ・クックは、1873年9月18日の暗い金曜日、第二の大陸横断鉄道ノーザン.パシフィックの資金調達に失敗して、店の重い鉄扉をかたく閉ざしてしまいました。


この連鎖反応で多くの銀行の破産、10日間にわたる株式取引所の閉鎖、党換の停止などの恐慌を招きます。


他方、農産物価格の急低落、大量の失業や賃下げは、農民や労働者を塗炭の苦しみに追い込みました。


これとは対照的に1876年、まだ恐慌の最中に、フィラデルフィアでは盛大な建国百年記念博覧会が開かれました。


この博覧会の目玉は何といってもその機械館で、アメリカの最新技術の粋が展示されました。


レミントン社は発明家クリストファー・ショールのタイプライター。


トマス・エディソンは多送信電報システム。


アレキサンダー・グラハム・ベルは世界最初の電話通信システム。


・・・またその巨大さで人びとの注目を浴びたのは、高さ30フィートというコークスの蒸気機関でした。

愛犬の健康を守る! 2

犬にもストレスがかからない快適な生活をつくってやらなければなりません。


そのためには・・・


●愛情をこめたスキンシップ


●十分な散歩と遊び(運動)


●季節に合わせた住環境


特に散歩は日課とし、毎日欠かさず出かけることが愛犬の心身を満足させる大切なポイントです。


無駄吠え防止もキチンと行ないましょう。


毎日犬に接していると、健康状態をチェックできるものです。


でもジワジワと進行する慢性化した病気は急性ほど症状が表にでないために、病気の知識がなければ見逃しやすいことも知っておくこと。


「この子は耳をかくのがクセなの」などと・・・


飼い主がそうした症状を病気だと知らずに、単なるクセだと思っている場合、これはとても危険です。


時間が経てば経つほど病気が進んでいることを忘れないでください。